先月になりますが、友達と一緒に天神繁昌亭(はんじょうてい)に落語を見てきました。
10年くらい前にできた上方落語を体験できる寄席です。
お大師さんが祀られている大阪の北野天満宮の横にあり、ロケーションとして
道路はさんでオフィス街に囲まれている情緒ある風景はなかなか異空間の雰囲気かもしだしてます。
最近では落語だけじゃなく手品やったり伝統独楽芸なんかもあるし、インド音楽の大先輩の石濱氏がシタール独奏なんかもやってましたね~
客層は年配が多いですが平日でも一階席は満員でした。
実は半年くらい前までほとんど落語に興味もなかったんですが
友人と一緒にはじめて落語を見に行ったのをきっかけにそのおもしろさに気づきました。
自分の演奏するインド古典音楽と落語との興味深い共通点もあり
これからもちょくちょく通いそうです。
まず、噺家さんが一人で壇上にあがり、時事などを含めた「枕」「起こり」から話がはじまります。最初の「つかみ」ってやつですね。インド古典音楽でいうアーラープです。
わかりやすくいうと前奏、イントロダクション。これがキマるとと第一印象がよくなるので
必然的にハードルがあがります。
んで、羽織を脱ぎ、本題へと突入するんですが そこで扱う題材は江戸時代から受け継がれてきたいくつかの決まったストーリーがあります。分類すると人情もの、怪談、芝居噺、等があり、大体は江戸時代の町人の文化背景があるコメディが多いですね。インド音楽でいう音の旋律「ラーガ」と似た位置づけで演目の本筋になります。
噺家はストーリーを追いながら、迫真の演技でひとりで複数の役をこなし、てぬぐいと扇子、声色、身振り手振りでもって聴衆を世界に引き込みます。時には話を脱線してなかなか戻ってこなかったりする時もありますがそのあたりのニュアンスは噺家のセンスや流派、師匠の影響が多いんでしょうね。
「じらし」や「抜き」といったテクニックを駆使し、最後は「落ち」が待っていますが、
その最終着地点への話の運び方の過程において即興的な刹那のひらめきで飛び出す装飾が
モノをいいます。いわゆるウデのみせどころです。
もちろん伝統芸ですので前もって用意されたものもあるんでしょうが、洗練された名人クラスの即興芸にはニヤニヤさせられたりします(笑)
インド音楽ではクライマックスの定型「ティハイ」に到達するまでに装飾の「ムクラ」という小技で盛り上げてコブシをきかせた「ガマック」で味つけします。
最後にうまく落とされると、お見事(キャバテ)!って客席から拍手が起こります。
筋書きがありながらも数瞬先の無から無限の可能性を紡ぎだし、
徐々に世界に引き込み、先の読めない展開で飽きさせずに聴衆を連れて行き、
最後には間違いない所に着地させてくれる絶妙な即興芸は
技というよりもむしろ人間力に近く、
表現者の世界に引き込まれるどころかエクスタシーすら感じちゃいます。
話の内容ももちろんそうやけど、噺家から発せられる壇上からの圧力みたいなもんが
エンターテイメントとして確立させる要素なのは間違いありません。
ベテラン(グルジー)は衣装着て座ってるだけでかっこええもんな~
あと20年はかかりそうです、、、